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鎌倉街道とは、鎌倉に幕府が開かれたことによって発達した交通路です。鎌倉を起点に、関東各地やその周辺国を南北方向に結んでいました。当時は「上道(かみつみち)」(武蔵路)、「中道(なかつみち)」(奥州大路)、「下道(しもつみち)」と呼び分けられており、鳩山町のほぼ中央を縦断していたのは、「上道」。鎌倉市を発って東京都府中市―埼玉県所沢市―鳩山町―児玉町とたどり、群馬県藤岡市から上信越に通じる幹線道路でした。
現在の鳩山にその痕跡はほとんどありませんが、過去の調査記録から、いくつか注目できる場所を南から北へとたどることができます。
1.コークミ
コークミの意味は不明ですが、今宿字仮宿で、かつて「上コークミの上の台地に越辺川に下りる旧鎌倉街道の跡地が幅3メートル長さ20メートル位残されている」と言われていました。
2.大道
おしゃもじ山の西麓(にしのふもと)にある小字名。「大道」とは、一般に鎌倉街道などの古道をさします。小字の境の形状も道路を踏襲しています。
3.赤沼入口の供養塔
中世の石造物ではありませんが、安永八年(1779)銘の「日本廻国四国七遍供養塔」があります。これは道標を兼ねるもので、この場所が古道であったことがわかります。
4.街道杉
直径4メートルといわれた古株も現在はありませんが、「幅約5メートル、深さ0.6メートルの掘割状道路遺構が約37メートル、雑木林の中に残されている」(埼玉県教育委員会・1986)という記録があります。
5.熊井くぼち道跡
「50メートル程掘割状の遺構が存在していた」といわれています。
6.はぐれ堂
お歯黒の大将の首を埋めた「羽黒堂」とも、家来にはぐれた武将の首を埋めた「はぐれ堂」ともいわれる地蔵堂。軍旅としての古道にふさわしい伝説といわれています。
7.笛吹峠(ふえふきとうげ)
県内の鎌倉街道唯一の峠で、笛吹峠の合戦(正平七年・1352年)の地と考えられています。「史蹟笛吹峠」の碑があります。
補遺・鳩山の中世
◇小用鋳物師(こよういもじ)
◇おしゃもじ山と妙光寺の板碑群(いたびぐん)
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