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| 近世の鳩山で生まれた焼き物・熊井焼 |
古代、東日本最大級であった鳩山の須恵器生産は、10世紀に衰退しました。中世にも窯場は存在したようですが、まだ確認されていません。そして、通説によると江戸時代の天明五年(1785)に開窯した近世窯が熊井焼です。熊井村の根岸仙之助が、淡路島から来た医師から楽焼の法を伝習し起業したといわれ、窯跡はいまも熊井の根岸家の屋敷のとなりに遺されています。
窯跡の幕末ごろの層からは、 、皿、急須(きゅうす)、行平(ゆきひら)(平鍋)、徳利など、絵付け製品も含む多数の焼き物が出土しています。いずれも最高級のロクロ挽きや削りこみの技が施され、うわぐすりや焼きも見事で、高い技術力がうかがえます。近年今宿で発掘された近世の町並からも熊井焼が発見され、地元にも出回っていたことが判明しました。明治以降には、陶器のほかレンガや土管、瓦も焼いて7代を数えた熊井焼きは、昭和30年代に閉窯(へいよう)しました。 |
鋳物(いもの)の技で活躍した鳩山の小用鋳物師(こよういもじ) |
関東の鋳物生産は、鎌倉の大仏建立をきっかけに一般的になりました。比企地方には多くの鋳造(ちゅうぞう)遺跡が分布しており、小用鋳物師もその一つです。中世の関東で中心的鋳物師であった物部(もののべ)氏の一派である入西(にっさい)鋳物師は、坂戸市入西にある金井遺跡を工房とし、13世紀後半から14世紀前半に活動しました。小用鋳物師は、それを受け継ぐ鋳物師と考えられています。
小用鋳物師のものとされる作品は、吉見町阿弥陀堂梵鐘(あみだどうぼんしょう)(建武三年・1336年 現存せず)や県指定文化財の鳩山町円正寺雲版(えんしょうじうんばん)(応安四年・1371年)など数多くあります。ただ、まだ作品以外の実態はよくわかっておらず、製品にも金刺(かなさし)鋳物師という銘が見られるなど、今後の調査や新たな確証に期待がもたれています。この後、小用鋳物師は越(こし)・松本姓鋳物師(中世後半)から江戸時代にはいって清水姓鋳物師、 姓鋳物師へと受け継がれ、梵鐘(ぼんしょう)・半鐘から鍋・釜にいたるまで多くの製品をつくっていました。
町指定工芸品
円正寺不動堂の鰐口(わにくち)(元治元年・1864年)、興長寺の半鐘(享保一八年・1733年)、休山寺の半鐘(宝暦四年・1754年) |