鳩山町デジタルブック
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古くより生活が営まれ、「焼き物の里」として栄えた鳩山町。この地に残る先人の息吹は、今に悠久の歴史を伝えています。 長い氷河期が終わり、気候の温暖化が進んだことによって、森が広がり動物が野山を駆け回るようになりました。当時の人々は木の実を調理する土器や、動物を仕留める弓矢を発明し生活していました。この頃には鳩山町にも人々が暮らし始め、虫草山遺跡など丘陵部を中心に集落を営んでいました。縄文中期には丘陵部だけでなく越辺川周辺に宿南遺跡など集落が進出し、縄文鳩山窯跡群鳩山町南比企窯跡群鳩山窯跡群6世紀初頭から10世紀中頃まで、鳩山町を中心に「南比企窯跡群」という東日本最大級の窯跡群が広がっていました。その中核を担っていた「鳩山窯跡群」が鳩山町にありました。後期の寒冷化により集落が減少するまで、多くの集落が生まれ、遺跡を残しています。古墳時代には全国にムラができ始め、首長の権力を象徴する古墳がつくられ、鳩山町でも円墳や十郎横穴墓が見つかっています。 鳩山町を中心とする岩殿丘陵周辺には良質な粘土層が広がっていました。7世紀後半頃から周辺地域の寺院や役所に提供するため、窯や工房がつくられ須恵器や瓦の生産が始まります。8世紀中頃に全国的に国分寺・国分尼寺の造営が始まると、鳩山町では武蔵国分寺の瓦を大量に生産するようになります。この頃、南比企窯跡群では国分寺瓦の生産だけでなく、つくられた縄文時代の土器(天神台東遺跡、虫草山遺跡、宿南遺跡)鳩山窯跡群バーチャル資料館16【縄文】【古代】歴史紐解く鳩山ロマン

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