鳩山町デジタルブック
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須恵器が関東地方に広く流通するなど最盛期を迎えました。しかし、平安時代になると大量生産による燃料や粘土の減少などにより、生産規模が縮小していきます。そして、10世紀中頃には約200年間続いた窯業生産も終焉を迎えました。 鳩山町のほぼ中央には鎌倉街道上道が通っており、関連する遺跡等が鎌倉街道の東西に展開しています。街道の東側には竹之城遺跡があり、12世紀末から13世紀中頃の初現的な館や掘立柱建物が見つかっています。西側には源義経の従者、熊井太郎忠元の館跡と伝えられる熊井城や、埼玉県を代表する中世墓の城添遺跡がありました。また、15世紀中頃には鎌倉大仏の鋳造時に招へいされた物部鋳物師の系譜に連なる小用鋳物師が仏具や生活雑器を生産するようになりました。 17世紀中頃には、石坂以外の鳩山地域一円を内藤家が支配し、大名に取り立てられました。その後今宿村が成立し筏河岸は陸運、舟運など物資の集散地として栄えました。 また、18世紀後半には関東最古級の近世地方窯である熊井焼が開窯し、徳利や壺、花瓶などの日常品を中心に、イッチン描きや飛びがんな、三島手風の象嵌が施された芸術性の高い作品など、優れた製品が生み出され、江戸の市中で流通していたと言われています。笛吹峠(鎌倉街道上道)かつて「鎌倉街道上道」が通り、武士団等が往来していた峠。新田氏(南朝)と足利尊氏(北朝)の武蔵野合戦の笛吹峠の戦いの場です。イチイガシの大木町指定天然記念物で、樹齢600年ほどとも言われており、長い間まちを見守ってきた大切な御神木です。熊井焼中世遺跡出土品や板碑泉井神社獅子舞 (ささら獅子舞)560年ほど前から続く伝統の舞で、町指定無形民俗文化財にも指定されています。五穀豊穣などの祈りや感謝が込められており、泉井地区に伝わっています。17【中世】【江戸】

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