南比企窯跡
概要
南比企窯跡は鳩山町を中心に、嵐山町・ときがわ町・東松山市の一部にかけて、東西約4.5キロ、南北約5キロの範囲に分布しています。6世紀前半から10世紀中頃にかけて操業され、作られた製品は武蔵国内の地方官衙や集落、武蔵国分寺・国府のほか上野や下総、相模などに供給されていました。
今回指定を受ける石田遺跡、天沼遺跡、新沼遺跡は共に鳩山町に立地しています。
指定までの流れ
平成21年に文化庁の視察を受け、石田遺跡などを史跡指定することが望ましいとの評価を受け、平成24年から平成27年にかけて石田遺跡2次~4次調査を実施。また平成22年から平成24年にかけて新沼窯跡1次~4次発掘調査を実施。令和4年には南比企窯跡のこれまでの調査結果を総括した南比企窯跡群総括報告書1刊行しました。その後、意見具申書を提出し、国の文化審議会の答申を経て令和5年3月20日に国史跡指定となりました。
石田遺跡
7世紀後半~10世紀中頃までの瓦窯19基、竪穴建物5軒、瓦溜まり1箇所が確認されている。6世紀後半以降の窯体構造の変遷や勝呂廃寺等に瓦が供給されていたことが分かっています。出土遺物には瓦、須恵器、土師器、鉄製品、陶製仏殿がある。
新沼窯跡
8世紀中頃~後半を中心に操業した窯跡で、窯跡26基、灰原等が確認されている。出土遺物には、須恵器、円面硯、瓦、鬼瓦、塼、瓦塔等ある。瓦には郡名や郷名、人名、記号等の文字瓦があり、武蔵国分寺創建にあたり集約的な瓦生産が行なわれたことを示しており、造瓦体制の実態を知るうえで重要な遺跡である。
天沼遺跡
8世紀中頃~9世紀中頃の窯跡2基竪穴建物9軒等が確認され、新沼窯跡の工房・工人集落と考えられる。

南比企窯跡 石田遺跡

南比企窯跡 新沼窯跡 出土遺物