須恵器と窯構造の変化

須恵器の変化

 鳩山窯跡群において生産された製品(須恵器・瓦)は、形態や出土状況の検討によりⅠ~Ⅸ期の都合9段階での移り変わり(変遷)で理解されています。
 これら段階には、国府や国分寺等で年代の明らかな資料との共伴例を根拠に年代が与えられており、時間の物差しとなるよう整理されています。

 特に(つき)(当時の茶碗)は、シンプルな形態で生産量・出土量も多く、口径や底部の調整方法を指標にその変化が捉え易く、各段階の設定も坏を基準としています。
 坏はⅤ期を境に観察のポイントが変わります(0期は除く)。
 Ⅴ期以前は口径の縮小化、Ⅴ期以後Ⅸ期までは口径と底径の差によります。
また、底部はⅠ期以降最後まで糸切りですが、Ⅲ期までは底部全面を回転ヘラケズリ、Ⅳ~Ⅴ期は底部周縁を回転ヘラケズリ、Ⅵ期以降は未調整で糸切りのままになっていくのです(図参照)。

窯構造の変化

 須恵器を焼く窯も、時期によりその形態は変化します。
鳩山で最古と目される石田1号窯(7世紀後半・0期)は、地下式ですが煙道が水平気味に延び、その特徴的な構造から東海地方の工人の関与が想定されています。
 8世紀前半~9世紀前半の最盛期は、7世紀と同じく地下式ですが煙道は直立するもので、規模も大型化します。
しかし衰退期である9世紀後半以降には半地下式となり、小型化していきます。
  • 0期

    0期

  • Ⅰ期

    Ⅰ期

  • Ⅱ期

    Ⅱ期

  • Ⅲ期

    Ⅲ期

  • Ⅳ期

    Ⅳ期

  • Ⅴ期

    Ⅴ期

  • Ⅵ期

    Ⅵ期

  • Ⅶ期

    Ⅶ期

  • Ⅷ期

    Ⅷ期

     

窯構造の変化と須恵器の関係


なお、「鳩山窯跡群の成立と展開」のページに示した「南比企窯跡群の展開模式図」については、以上のような遺物や遺構の特徴を根拠としています。
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