おしゃもじ山
「だあだら坊西へ行く」
いつのときかこの地に、気がやさしくて、正直で働き者の少年がいた。その名は「だあだら坊」と呼んで近所の人々に大変可愛がられていたそうな。
ところが年頃になって、どういうわけかぐんぐんと大きくなり、ついに巨人となってしまった。かつての紅顔の美少年の面影はどこへやら、その容貌は魁偉となり、鼻の長さは7アタもあった。また人並みはずれた身体は、今宿のオシャモジ山に腰をかけると、左は赤沼の氷川神社まで届き、右足は小用まで達したという。さらにその足跡は地面に窪地となって水がたまって、いくつもの沼をつくってものでした。
「だあだら坊」の家は小さな農家でした。そうして、「だあだら坊」は親孝行な長男で、家の跡取りでした。農家の長男の跡取りのところには嫁のきてはないときでもあるのに、ましてこの巨人のもとには近所の娘子すら寄り付かなかったそうです。
そのようなわけで、特に気の弱かった「だあだら坊」はさびしくなって、いつも仕事の暇を見てはオシャモジ山に腰かけて、毎日泣いてばかりいました。風の吹く日はその涙が風によって散っては近隣に小沼をつくることもあったという。
ところで、この「だあだら坊」の姿を見て、誰よりも不憫に思ったのは両親でした。「だあだら坊」の両親はこの気のやさしい親孝行な息子に、嫁も与えたら、さびしくなくなるだろうと考えた。そこで両親はどこかに嫁はいないものかと東奔西走して探しまわった。しかしどこにも嫁は見つからない。というのは、村人たちが、「だあだら坊」の両親の姿をみかけては、すばやく自分たちの娘を押し入れに隠してしまうからです。
ところが、ある冬の朝、「だあだら坊」の両親は西の空に、くっきりと映し出された美しい娘さんの姿をみることができました。この両親は夢ではないかと自分たちの眉をこすった。真白にお化粧した顔を西側の秩父連山の上にのぞかせ、それはもう引き目、鉤鼻、オチョボ口、髪は烏の濡れ羽色といったいでたちで、文句なく日本一の美人でした。
両親はこの日本一の美人娘を、自分の可愛い「だあだら坊」の嫁にしようと考えたのです。
いずこの親も同じこと、いかに自分の子どもが醜かろうとも、その嫁には日本一の美女かほしいもの、これが親馬鹿チャンリンというものであろうか。
気の逸る両親は、いつものようにオシャモジ山に腰かけて泣いている「だあだら坊」を勇気づけて、さっそく嫁もらいに出かけることにし、今晩にでも、美人娘の住んでいる駿河の国に旅立つことにした。そのときに踵が地面にめり込んで二つの窪地ができ、これがのちの「だあだら坊池(ち)」といわれるもので、今もあります。
そして、「だあだら坊」が両親とともに西に向けて急ぎ旅立つとき、最初の準備として
小用(しょうよう)にたったという。その場所がのちの小用(こよう)という地名になったと言われています。このようにして、西にむけて旅立った「だあだら坊」とその両親のことについては、その後、誰も噂をするものがなかったそうです。
(伝説、場所/今宿、話し手/石井豊治、作者/柿木康伸)