清水先生の思い出
先月15日、鳩山町の名誉町民である清水静枝先生がご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
私が子どものころは、病院といえば、村立の鳩山診療所しかなく、清水先生には大変お世話になりました。また、先生のご実家が近所であったことや、私の祖母が病弱でよく先生に往診に来ていただいたこともあり、清水先生の思い出がいくつかあります。
その中で、長年記憶の奥深く眠っていたある事を思い出しました。小学生のころのことです。先生が祖母の往診に我が家に見えた時、診察が終わりお茶を飲みながら、勤務していた病院をやめて、この鳩山に戻られた時の心境を、次のように話しておられました。
「女学校のころ、寮から実家に戻ってくると、小作の人たちが小作料を納めに来ていた。その人たちのおかげで私は女学校を卒業でき、医者になることができた。今度は私が恩返しをする番だと思った」
調べてみると、この昭和16年当時、亀井村・今宿村組合立診療所ができていましたが、事実上無医村状態でした。両村の有力者が先生の勤め先へ、この診療所への赴任をお願いに何度も伺っていたようです。最終的に鳩山に戻る決意をした時の心境を語ったものと推察します。
清水先生は、その崇高な志を全うされました。生前示された先生の見識と情熱を心に刻んで、私も初心にかえり、わが町の発展に尽くしていきたいと考えます。